2012年00月00日 本郷界隈ワークショップ開催決定!

本郷界隈は多くの文人が暮らした街として有名ですが、往時のメインストリート本郷・菊坂には女性初で5千円紙幣の肖像画にもなった樋口一葉が暮らしていました。当時一葉が使った井戸も残りまるで明治にタイムスリップした様です。また本郷は東京大学が所在する場所としても有名です。東京大学は日本で初の大学として旧加賀藩上屋敷に設立されましたが構内には安田講堂や三四郎池また多くの受験生が憧れる赤門もあり、多くの歴史を生み出して来ました。東京都心とは思えない自然の多さで四季折々が楽しめます。マミヤカメラを持って本郷の街を一日スナップ散策しませんか?

開催日  第1回 2016年月 日(土) 10時〜15時
     第2回     月 日(土) 10時〜15時
集 合  マミヤカメラクラブ事務局(ワイズクリエイト)
指導講師 中村 文夫(写真家)
参加費  4,000円(税込)※案内地図付き
撮影地  時 間   内 容
     10:00 ワイズクリエイト集合/オリエンテーション
     11:00 ワイズクリエイト出発〜本郷中央教会〜かねやす〜本郷薬師〜十一面観音〜桜木神社
      喜之床〜弓町教会〜大クスノキ〜ふるさと歴史館〜坪内逍遥旧居跡〜炭団坂〜
      宮沢賢治旧居跡〜樋口一葉旧居〜金田一京助旧居〜鐙坂〜菊水湯〜胸付坂〜伊勢屋質店〜
      長泉寺〜菊富士ホテル跡〜赤心館跡
     13:00 昼食(付近のレストラン等)
     13:40 本妙寺坂〜金魚坂〜東大赤門〜法真寺〜落第横町〜徳田秋声旧居〜求道会館〜本郷館〜
      東大正門〜安田講堂〜中央図書館〜三四郎池〜麟祥院
     15:00 ワイズクリエイト着/まとめ/終了 
備 考  昼食費は個人負担となります。天候、指導講師の判断でスケジュールが変わる事が在ります。
     最小催行人員を確保するためにワイズ大中判写真の会との共同開催とさせて頂きます。

中村 文夫(なかむら ふみお)1959年生まれ。学習院大学卒業。カメラメーカー勤務を経てフリーに。カメラ雑誌の執筆を中心に活躍中。写真教室、撮影会の指導、カメラ評論家などカメラに関することなら何でもこなすマルチカメラマン。著書「ラ−ジフォーマットPart4」「使うペンタックス」等。(現皇太子殿下のご学友だったとしても有名)


樋口一葉(ひぐちいちよう) 1872年(明治5年)〜1896年(明治29年)中島歌子に歌、古典を学び半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」等の秀作を発表。『一葉日記』も高い評価を受けている。本郷・菊坂下道路地に暮らしていた。

田講堂は日本の四大財閥の一つ安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により建設されました。正式には東京大学大講堂と言う。収容人数は1,144席(3階席・728席/4階席・416席)。安田講堂のイメージは「東大のシンボル」「学生運動の象徴」とよく聞きます。特に中高年の人たちはテレビに映し出された安田講堂屋上から機動隊に火炎瓶を投げつける光景は鮮明に頭の中に残っています。今の安田講堂からは想像もできない光景でした。

本郷・菊坂下道路地の樋口一葉旧居は今も時計が止まったかの様な静寂を保ちます。一葉はこの路地内でも転居し二つの家に暮らしたと言われる。いまでも多くの方々が生活しているので迷惑にならない散策を心がけたい。
東京大学の正門前の横町を西に入ると広場がある。旧森川町で、岡崎藩主本多家の敷地であった。広場の西側に本多家の祖先を祀る映世神社があった。それでこの広場一帯を宮前といった。広場に入る左側に格子のある古い木造の建物がある。明治未ごろの建造で元加賀蔦の頭の住居であった。旧森川町は石川啄木の蓋平館(現太栄館)などの下宿屋が多く二葉亭四迷・宇野浩二・徳田秋声などの文人も多く住んだ。書生の町、文人の町であった。本郷舘は、明治38年建築で延べ1422平方mの大規模のものである。当時は東大に通う留学生や地方からの資産家の子弟が入り本郷きつての高等下宿であった。現在はアパートになっている。かつての下宿街森川町のシンボルであった。ただ現在取り壊しの計画が有る。(残念ながら2011年8月1日からの取り壊しが決定してしまいました)
将軍の娘を迎えるときの門で文政10年建立。同年十一代将軍家斉の娘溶姫は前田家13代斉泰に媛入りした。将軍の姫三位(官位)以上の大名に嫁した人、その居所を御守殿(四位以下を御住居)と称した。斉泰が安政2年に中納言に任ぜられ溶姫は御守殿となり門も御住居表御門から御守殿門と称された。切妻造本瓦葦、三間の薬医門で、朱塗りの木部と黒金具、その左右に唐破風造の番所を置く。屋根瓦には葵の紋、梅鉢の紋、まだその意味が解明されていないが大・中・小サイズの学の文様がある。大御門の黒門に対して赤門と呼ばれ赤門は焼けたら再建を許されず加賀蔦(消防隊)が守護した。

本郷界隈を詳しく紹介したホームページは
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マミヤカメラクラブ事務局を運営する株式会社では「web下町界隈シリーズ」のホームページを制作・発表しています。是非参考にご覧ください。また本郷周辺の地図は左記の地図をクリックしてください。